参加者レポート
ネイティブの存在の重要性
ベトナム・ハノイプログラム参加 大学3年生(21歳)
期間:8月21日~9月3日(2週間)
※ビザは日数的に必要ありませんでした。
私は今回ベトナムのCという学校で日本語教師のボランティアをさせていただきました。このプログラムに参加したのは、もともと日本語教育に関して興味があったのと旅行以外の目的で東南アジアの国に行きたいと思ったからです。
具体的なボランティアの内容としては、平日5日間毎日行われる授業に生徒と共に出席し、日本語の発音の指導や授業を実施したりしました。授業は午前中2コマ(7時半から9時までと30分休憩をはさんで9時半から11時まで)、午後は大体2時から5時まで(日によって開始時間や終了時間が異なっていました)あり、午前の授業が終わると一度帰宅して昼食・昼寝をしてから再び学校に戻って午後の授業を行うという流れでした。午前中の1コマ目の授業は現地の日本語の先生がテキストを使用し授業していたので、私はその章ごとに出てくる新しい語彙の発音などを発声してあげたり、2コマ目の授業は私に与えられた時間だったのでテキストの続きの授業をしたり、日本で生活するうえで必要なことを中心に授業をさせていただきました。午後は他の生徒たちよりも学習内容が進んでいる生徒3人の自習のような時間で、テキストの問題をみんなで解いたり、発音の練習をしたり、それぞれ自由に時間を使っていたので、私自身もこの時間に次の授業の準備をするなどして過ごしていました。また、途中からこの午後の時間はまだ平仮名・カタカナの読み書きを学習している生徒5名ほどの補習の時間になったので、この時間にも発音の練習のお手伝いをさせていただきました。授業の開始時間や終了時間、その日のスケジュールなどが毎日曖昧であり、時間に対してだけでなくいろいろなことにルーズに取り組む姿勢を間近で見て、日本人らしい真面目さが私にも備わっているのだなあと感じることが多くありましたが、その生活リズムに徐々に順応していくのを楽しんでいました。この学校は常に生徒を受け入れているらしく、希望があればすぐにその翌日から授業に参加でき、2週間様子を見て入学意思が揺るがなければ手続きを行い、正式に入学するというシステムだそうです。実際に私が滞在していた期間にも3人ほど新しい生徒が増え、生徒は総勢24人いました。生徒たちの大半は学校の敷地内にある寮に住み、年齢は18歳から26歳まで、男女の割合はほぼ同じくらいでした。生徒同士みな仲が良く、最初はその中に上手く溶け込めるのか不安もありましたが、とても人懐っこい生徒たちに「みさき!みさき!」と名前を呼んでもらい、すぐにその場に馴染むことができました。ほとんどの生徒が7月に日本語を学び始めたばかりで、来年の4月に日本へ留学する予定だということだったので、日本語のレベルはまだまだ低く、日本語でのコミュニケーションは全くと言っていいほど取れる状況ではありませんでした。しかし、その分生徒たちの学習意欲は高く、私の話す日本語を少しずつ真似して生徒同士でわいわい会話している姿が印象的でした。私自身もベトナム語が全く話せず、授業は全て日本語で実施して現地の日本語の先生に通訳していただきました。最後の授業で実施した折り紙の授業は思ったよりもウケが良く、自分用に持参した折り紙の本はあっという間に生徒たちに取られてしまいました。いろいろ作ってあげた中で一番人気だったのは手裏剣で、授業が終わるころにはみんな満足げに手裏剣を抱えていました。
私が今回宿泊したのは、ボランティアさせていただいた学校の校長先生のお宅です。学校からバイクで5分くらいの距離にある2階建てのおうちで、校長先生とその奥さんとまだ1歳の子供のほかに、日本語の先生も同居していました。私が使わせていただいた部屋以外にも空き部屋があり、新しく学校に入学した生徒にも提供しているようでした。部屋にはエアコンと扇風機がありましたが、家自体が石造りのおかげか扇風機だけでもだいぶ涼しく、エアコンはほとんど使うことがなかったです。開けっ放しの窓には網戸がなく虫が入ってくることも多々あったので、トンボやアリとは常に一緒に生活していたような気がします。滞在中に部屋で2度も見かけたゴキブリの大きさには驚きました。シャワーや洗濯はいつでも自由に使ってよいということでした。シャワーはトイレと洗面台と同じスペースにあり、トイレは水洗でした。洗面所から出る水は飲めず、廊下に共用の飲み水ボトルを設置してくれたのでそれをコップに注いで飲んでいました。洗面所の蛇口をひねるとトイレの後ろの穴からなぜか下水がジャボジャボ出てきて臭かったので、水をたくさん使用することは控えました。シャワーは温度調節こそできたものの、水圧がとても弱くてシャワーは大変でした。また、シャワーの扉は壊れていて完ぺきには閉まらなかったのですが、一度無理やり閉めたら逆に出られなくなって閉じ込められてしまったので、その日以降は常に扉を半開きの状態で使用していました(笑)洗濯は1週間に2回ほどある程度洗濯物がたまった時にまとめてしていました。洗剤を貸してくれて、洗濯物を干す専用の屋根があるスペースに干しました。湿度が高かったのであまり乾かないと思っていましたが、意外とそんなこともなかったです。奥さんや日本語の先生は大きなバケツに入れた衣類を手洗いしているようでした。朝ご飯は、家でインスタント麺を食べたりお店に食べに行ったり屋台のものを買って食べたりしましたが、昼・晩ご飯は奥さんが作ってくださり、みんなで一緒に床に座って円になって食べることが多かったです。毎食後にはいろいろな食べたことのないフルーツを出してくださり、説明していただきながら美味しくいただきました。家のWi-Fiの接続環境は悪く、携帯はほとんど使えなかったです。また、日本語の先生以外とは日本語でのコミュニケーションが難しいこともあり、ほとんどの時間を先生と共に過ごし、一人での外出も一度もしませんでした。過去にも何度か日本人と接したことがあるようで、日本人が行きたいところ食べたいもの見たいものはほぼ把握してくれていて彼の方から率先していろいろなところに連れて行ってくれました。滞在期間中に1度しかなかった土日が雨期だったこともあり大雨に降られてしまい、観光は全くと言っていいほどできませんでしたが、スーパーやカフェ、地元の市場やコンビニ、また居酒屋、公園など観光ではあまり立ち寄らないようなところに連れて行ってもらえたのはうれしかったです。夜ご飯を食べ終えたあと、21時ごろにスーパーやカフェに行こうと誘われたときはその時間帯に少し驚きましたが、外出先には幼い子供もたくさんいたのでベトナムでは普通のことなんだなと思いました。カフェも日本と違い、お酒が飲めて22時くらいまで子供も一緒にわいわい騒いでいました。生徒たちは校長先生とも日本語の先生とも仲が良く、特に校長先生は校長室が隣だったこともありよく授業を覗きに来ては生徒たちと楽しそうに会話をしていたり、授業後に生徒と一緒になって裸足でサッカーをしていたりしました。ビアガーデンは人気なのかいたるところにありました。学校へは最初の方こそ校長先生が車で送ってくれましたが、3日目くらいからは日本語の先生のバイクの後ろに乗せてもらって通学しました。初めてのバイクの二人乗りにはとても戸惑いましたが、交通量やマナーの悪さに反してスピードがそこまで早くないことに気づき、何度か乗ると周りの景色を見る余裕も出てきてとてもくせになってしまいました。ベトナムの朝は早く、通勤ラッシュは6時半頃がピークのようです。ときどき見かける警官たちも、おそらく自分の彼女のような人を後ろに乗せてヘルメットをかぶらずに他のバイクと並走している様子も珍しくなく、私にとっては驚くことばかりでした。滞在中の一番の思い出は、生徒たちがみんなでうちに来て料理を振る舞ってくれたことです。女子が中心になって料理を作り、男子勢は買い出しや料理の配膳などを担当していて、役割分担がきちんとできているのだなと感心してしまいました。また、急遽授業を休講にしてお寺を案内してくれたりもして、日本人のようなおもてなしの精神を感じました。帰国日の9月2日がベトナムの独立記念日だったので、校長先生の実家への帰省に同行させていただき、ご家族の方とお祝いの料理をいただいたのも良い思い出です。家族全員に見守られながらお祝いのときにしか食べないという豚の血もいただきました。また、噂にも聞いていた停電も滞在期間中4回ほど経験しましたが、現地の方々があまりにも冷静に対応しているのには驚きました。
日本からのお土産は百均で購入したものをいくつか持って行きましたが、扇子やうちわは既に所持していたようで、生徒たちも授業に持参していたほどでした。授業用に持参した、電車の切符やSuica、日本円やアルバイト用の履歴書などにはわりと興味を持ってくれていたように思います。ベトナム語の辞書はCECからいただいたものしか持参しませんでしたが、日本語の先生と常に行動していたこともありほぼ使うことはなかったです。生徒たちは面白がってベトナム語の辞書を見ながら、私に発音してみて!といろいろな単語の発音を教えてくれたりしました。ベトナムの物価は安く、私は1万円しか両替しませんでしたが足りるどころか半分以上余りました。食事代も観光費用も全て日本語の先生や生徒たちが奢ってくれたので、使ったのは本当にお土産代くらいで日本円にして約2000円くらいでした。服装は日本にいるときと同じでしたが、暑かったのでタオルとうちわ、制汗剤は持って行ってよかったと思います。授業に来る生徒たちの格好はものすごくラフで、トイレ用のサンダルみたいな靴で来ている子もいましたが、私は授業時にはいつもスニーカーで行っていました。外出時にはマスクは欠かせないようです。薬はたくさん持参しましたが、実際使用したのはムヒくらいでした。蚊も日本よりはいなかったので、使ったと言っても草がたくさん生えているところに行った時くらいでした。外で提供されるお水には氷が入っていて、ガイドブックなどにはその氷に気を付けたほうがよいと書いてあったので少し飲むことをためらいましたが、私は特にお腹の調子が悪くなることもなかったです。外にあるお店では基本的に食事中に出たごみをそのまま床に落としていて、ティッシュだけは下にあるバケツの中に捨てるという感じでなかなか抵抗がありました。調味料もたくさんあって、みんな葉っぱやチリソース、にんにくなどを大量にかけて食べていました。食事の量は日本に比べて一人前が多いような気がしました。
今回私がこのボランティアを経験して一番感じたのは、海外で行われている日本語教育においてのです。現地の日本語の先生が話す日本語もおおよその意味は通じても、完ぺきではなかったし、発音やイントネーションに関してはまだまだ指摘すべき部分がたくさんありました。そんな環境にやってくる私たちのようなネイティブの存在はとても貴重であり、日本のことを教えるという当初の目的以上に多くのことを教え、伝えることができたように思います。また、生徒や先生になぜ日本に来たいのかと尋ねると、「日本とベトナムの関係がいいから。日本語を話せると将来もらえるお金が増えるから。」と言われました。それが私と同世代の人の意見だと思うと、とても衝撃的であり、普段どれだけ自分が考えを持たないままに行動しているに気づかされました。滞在期間中に関わった方々とは連絡先を交換し、日本に来る際に再会を約束しています。今月末にも、何名かの生徒が日本へ来ることが決まっているので、今度は私が彼女たちにいろいろなおもてなしをしてあげたいと思います。
最後になりましたが、このプログラムに参加するにあたりお世話になりました牧田さん、現地でお世話になりましたフンさん、ティーさんに心より感謝いたします。
貴重な経験をさせていただき、ありがとうございました。